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ある情景


by burai_2005

銃規制とキリスト教

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<佐世保乱射>馬込容疑者の母、泣きながら神父に謝罪電話 [ 12月15日 20時25分 ]

 長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件で、馬込政義容疑者の母は15日朝、同容疑者が自殺の場に選んだカトリック船越教会を小教区として受け持つ鹿子前(かしまえ)教会(佐世保市)の下山盛朗(もりあき)神父(48)に謝罪の電話を入れていた。下山神父によると電話は約3分。「息子がとんでもないことをした。申しわけありません」と、泣きながら何回も同じ言葉を繰り返したという。

 下山神父によると、馬込容疑者は家族とともに洗礼を受け、母親らは毎週末に教会に通っていたが、容疑者が姿を見せることはなかったという。下山神父は「息子さんが大変なことをしましたが、気をしっかり持ってください」と母親を励ましたという。【錦織祐一】
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それだけで一大論文が書けるようなタイトルになってしまったが、実は単純な誤解を解くために書いている。

まず銃規制について、必要がないという意見が見られるが、これはアメリカで銃規制に反対するものがよく使う理論で、目新しいものではない。それは、銃がなくてもナイフやその他の武器を使って殺人は犯せるので、銃規制の意味はないという理論である。ちょっと考えればわかることだが、銃とナイフの根本的な違いは、その殺傷能力にあり、ナイフや日本刀、そして銃器との差は歴然としている。銃器をもってすれば大量殺人が可能であり、ナイフや日本刀ではそれは難しい。従って銃規制は少なくとも被害者の数を減らすという意味では有効と思われる。銃規制に意味がなければ、その延長線上には核兵器の規制も意味がないという理論になってしまう。

次にキリスト教であるが、キリスト教(これにはいろんな解釈があるので難しいが)は一般的に祈ったものだけを救うという宗教ではないと解釈されている。キリスト教は信者であろうとそうでなかろうと万人を救うというものである。別にキリスト教にくみするわけではないが、どんな宗教にも問題があり、狂信者や盲信者がいるものである。宗教の教義ゆえにそれに外れた者は脱落者のように感じ、そこから犯罪に走る例も少なくない。宗教とは両刃の剣といったところだろうか。
by burai_2005 | 2007-12-16 10:41